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これからの人生の中で今日が一番若い

「これからの人生の中で今日が一番若い」 
TV番組で押切もえが言っていた言葉。
若いころにしっかりやっておけばよかったと思うことがあるが、
これからの人生の中では、間違いなく今が一番若い。
今、しっかりやれば必ず将来に生きる。
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体幹と腹圧

内腹斜筋の働きなどにより、腹圧が高まると体幹が安定する。
上肢のリーチなどで同側の体幹の安定性を高めているのは、
同側の筋活動だろうか。

①神経系では四肢の支配は交差するが、網様体脊髄路など体幹などを支配する経路は、
 同側性に下降する経路の割合 が多いことが知られている。
②腹圧は風船に例えられるが、片側に対して力が加わると、風船が膨らむのは反対側である。
 つまり体幹も筋活動などにより抑え込まれている反対側の腹圧が高まる。

①②から考えると、リーチでは反対側の筋活動によりもたらされる同側の腹圧の上昇が安定性をもたらしている。
患者が麻痺側の胸郭がつぶれたようになっているのは、
その圧により、非麻痺側の腹圧を高め、非麻痺側上肢の操作性を高めようとしているのではないか。

姿勢の戦略

私たちでも両手を挙げると挙げやすい側と挙げにくい側がある。
挙げにくい側は肩甲骨が拳上位にあったり、胸郭が引き下げられているなど非対称的な姿勢となる。
この非対照的な姿勢は、身体を操作側と安定側に分け、片側の操作を優先するために片側は安定としての役割を
になっている。
中枢神経の患者では、この傾向が強くなり、麻痺側が安定側となり、胸郭のねじれ、肩甲骨の固定がみられ、
その分非麻痺側の運動を優先している。
優先というより、麻痺側の運動を犠牲にしている。
この役割を変化できるのが中枢神経の役割ではないか。

ハンドリングで挙がりにくい手が挙がりやすくなることを経験するが、
総じて反対側の手は挙がりにくくなっている。
筋活動が調整され、挙がりにくい手が挙がりやすくなったと解釈したり、
挙がりやすくなった手に対して、挙がりにくくなったと比較して感じているのではなく、
操作側と安定側の役割がハンドリングにより変わったことが要因ではないか。

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なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり

上杉鷹山の言葉。
何事も意思を持って取り組めば、結果が出る。
結果が出ないのは自分自身が結果を出す行動を起こしていないからだと反省。

立ち上がり

端座位からの立ち上がり動作では、
臀部から大腿そして足底へと支持面が変化していく。
臨床では大腿まで重心移動を促すことができるが、
そこから足底へと支持面の変化がつながらない方が多くみられる。
大腿から足底へと力を伝えるのは下腿、つまり膝関節と足関節が重要。
膝関節は立位では関節面の接触面が多く安定するが、
端座位では膝関節は屈曲位となり、関節の連結が弱くなっている。
支持面を伝えるハンドリングも重要だが、
膝関節を連結する筋活動を高めるようなモールディングも大切。

運動学習(呼吸)

腹筋運動などの運動を繰り返し行うと、日常性身体運動にも学習効果が認められるのだろうか。
ピラティスやその他の方法でも、まず呼吸の方法から始まるという話を聞いたことがある。
呼吸はどの運動、活動、行為でも必ず行われている運動である。
ピラティスなどはまずこの呼吸方法を練習し、
次にその呼吸を背景としながら様々に組み合わせた運動を行う。
呼吸を含めた二重課題として設定されているのではないか。
それにより、正しい呼吸が無意識に行え、日常生活への般化が促されるのではないか。
呼吸筋は体幹の支持筋としても重要であり、
どのように呼吸を行うのかは身体運動に大きな影響を与えると考えられる。
臨床の患者に対して、運動学習を考えるとき、
どの動作でも必ず行われている呼吸の方法の学習を考慮しなくてはいけない。

「因果」 

佐々木閑 著‘日々是修行‘によれば、
「仏教ではこの世に超越的な力を持つ絶対者など存在しない。
すべては原因と結果の間に成り立つ法則性で動いている。
だから生きる苦しみを消し去るためには、外の絶対者にお願いしても意味がない。
世の法則性を正しく知った上で、それを利用した形で心の鍛錬をしていく。
それが苦しみをなくす唯一の道だ」
                                          

少林寺拳法の教え(聖句)にも以下のようにある。
己れこそ、己れの寄るべ、己れを措きて誰に寄るべぞ、
良く整えし己れこそ、まこと得がたき寄るべなり
自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが浄し、
浄きも浄からざるも自らのことなり、他者に依りて浄むることを得ず


どちらにも共通して言えることは、
だれかが救ってくれるわけではなく、
自分自身を成長させ、自身を頼りになるものとして高めていく必要があるということ。
誰かに頼るのではなく、自分の足で立てるようにならなくてはいけない。
自分を更に高めていくのか、現状に妥協してしまうのか、
それを選択できるのは、自分しかない。

「慙愧」  

佐々木閑 著‘日々是修行‘によれば、 
仏教の言葉に「慙愧」という言葉がある。
「良い人を敬い、至らぬ自分を反省する」という意味である。
仏教では悟りのための必須条件とされる。
なぜなら、その謙虚さが自分をいっそう高める活力となるからだ。

これは劣等感を別の角度から見たものに他ならない。
劣等感は、
「他人より劣っているから自分には価値がない」と考える。
慙愧は、
「自分は劣っているからその分、傲慢にならなくて済む。傲慢にならないからまだやれる」
と考える。
劣等感を別の方向から見て、「さらなる向上の為の活力源」と積極的に捉えたのが、
仏教の慙愧である。


優れたセラピストを見たとき、自分の力のなさを感じたとき、
自分の非力やセンスのなさを感じる時が多くある。
慙愧という言葉は、その気持ちが自身の成長のために必要な気持ちであることを教えてくれる。


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