作業療法士のメモ

臨床の作業療法士が考えなくてはいけないことを、セラピストとしてリハビリをする上で大切なこと、自分なりに考えていきたいと思います。

犬では終わらない

大河ドラマ「平清盛」を見て思う。
朝廷や貴族と、武士との関係はリハ医とセラピストの関係に似ている。
平安末期、武士は貴族に使われる存在だった。
武士がいなければ治安も維持できず、力を行使することもできないにも関わらず、
武士の地位は低く、さげすまれ、使われる存在でしたなかった。
その状況を平忠盛、清盛2代にわたって変えていく。
力のある武士が世の中を動かしていく。

セラピストは医師の指示でしか動けない存在なのか、
セラピーをしているのは、医師ではなくセラピストである。
セラピストが医師の指示なくセラピーを実践できる世の中にはならないのか。
良いと思えることを、堂々と実践できるように。
セラピストが信じるセラピーを実践できる世の中にするために、
進んでいこう。

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当たり前

「当たり前のことを当たり前にやる」
それだけではない。
「当たり前位のことを当たり前と思わない」
そのことを忘れなければ、いろんなことに感謝もできるし、自信も発展できる。

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後悔しない

自分で考えて決めたことは、結果が悪くても後悔しない。
三宅久之

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潜在能力を解放するのか、失った機能の再獲得をするのか

リハビリテーションで行っているのは、
脳卒中などの疾患により失われた機能を再び獲得するようにアプローチしているのだろうか。
それとも、残存した機能を効率的に使う方法を伝えているのだろうか。

アプローチをして即座に反応が変わるのは、その残存している能力を効率的に使えるようにしているのだと思う。
でも失った機能を獲得できるようにもしていきたい。
その気持ちが入り混じったまま臨床に取り組んでいるような曖昧さがアプローチの曖昧さにもつながる。

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発達から臨床を考える

人は生まれると背臥位でなにも動けない状態から、
寝返り、腹這い、四つ這い、高這い、立ち上がり、伝い歩き、歩く。
もちろん例外もあるが、ある程度共通した段階を経て、歩行を獲得していく。

それぞれの段階を順番を経ていくことには意味があるのではないか。
それぞれの段階での経験により獲得された能力は、
次の段階での動きのベースとなっているのではないだろうか。


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